きみは「Let it be」と言った

ありのままに自分の好きなことを思いつくまま

書くこと、残すこと、そこに在ったということ

2020年10月26日のこと。
秋晴れとGoogleで画像検索をすると今日の空が出てくるだろう。
そんな天気だった。
気温も暑すぎず、寒すぎず。
そんな天気に手招きされるように、ぼくは散歩に繰り出した。
 
シャツを羽織って、薄手のパンツを選んだ。
インナーとして、ヒートテックは念のため着た。
 
最近もずっと家で仕事をしているけれど、天気・天候は偉大だと思うことが多くなった。
家から一歩も出ない日があるにも関わらず、僕の気分は天気に左右される。
天気は偉大だ。
 
目的もなくただただ陽の指す方向に向かった。影の多い道よりも光の中を歩きたかった。
猫を追いかけて、地球屋にたどり着いた雫の気持ちのように、気持ちを高ぶらせて足を進めた。
新宿御苑に向かっていた。
 
新宿の近くに住み続けて、もう2年になる。だけど新宿御苑の方向に歩いた回数は数えことができるくらいしかない。
その方向で行くと新宿に出るのに時間がかかる、ということが、新宿御苑の方向に向かうことを少なくしている理由だった。
そんな数少ない中でも、鮮明に覚えているのは1回。
確かその日も天気が良くて、当時お付き合いしていた彼女と周辺を散策したのだった。
歩き疲れた僕たちは目についたカフェに入った。「幸せのプリン」を売りにしているカフェで店内は何か特別な雰囲気があるわけでも
メニューに力を入れているでもなかった。お客さんもまばらだった。
ぼくたちはその時、幸せのプリンを注文しなかった。
 
そんなことを思い出しながらぐんぐんと新宿御苑に向かった。
僕と同じように散歩をしている人は多かった。やはり天気は偉大だ。
 
知らない風景の中を歩くことは楽しい。海外を歩いている気分になれる。
何かの本かテレビ番組で脳を活性化させる良い方法として、知らない街を歩くことが紹介されていた気がする。
なるほど、確かによく観察して足を進めている自分がいることに気が付いた。
 
こんなところにおしゃれなお店があるんだな。
このお店はシャッターを下ろしているけど、夜は営業しているのだろうか。
あのお店はおいしいのかな。このお店は価格帯が高そうだな。
夜はどんな雰囲気をしているのだろうか。。。
 
観察して、空想して、想いを馳せる。
 
歩くという行為は、知っている道を歩くときは足を進めるだけだ。
移動の手段の一つ。だからどこでもドアの開発を待ち望んで切る人が多いし、出勤では心が躍らない。
知らない道を歩く時、足を進めるだけではなく、歩くこと自体が楽しくなる。
どこでもドアができても、ぼくはそのドアノブを握らないだろう。
 
結局新宿御苑の前まで行って、ぼくは中に入らなかった。
新宿御苑のそばにある、遊歩道を歩いた。そんなところがあることも新宿御苑まで徒歩20分圏内の場所に2年近く住んでいるのに知らなかった。
知らないことばかり、でもそれが楽しかった。
 
そろそろ帰ろうかと思ったとき、どうしても気になる雰囲気の喫茶店があった。
「カフェ・テラス ドム」
もう2つ前の元号である昭和から取り残されたような外観、路上に向かって出している看板にあるメニュー。
僕はレトロなものを好む傾向にあるけども、その雰囲気はレトロだけではすませてはいけない味があった。
アイスコーヒー1杯500円、ナポリタン630円。新宿近辺の喫茶店では安いほうだと思う。
 
ドアを開ける。おじいさんとおばあさんで営んでいるようだった。
キッチンに立っているのはおじいさんで、おばあさんが注文を取ったりお会計をしたりしていた。
キッチンのおじいさんはフライパンに向かっている様子だった。ケチャップの酸っぱいと甘いが重なった匂いがほのかに香ってきた。
ドアを開けても反応がなかった。ドアに鈴が付いていないから気が付いていないのかと思って、ぼくは言った。「一人です。大丈夫ですか。」
反応がない。
営業時間は過ぎていないし、お客さんは僕以外にあと1組だけ。
入口に立ちすくむのも居心地が悪かったので、入り口付近の席に座ることにした。
 
席に着いて少ししてから、キッチンにいるおじいさんが僕に行った。
「いらっしゃいませ。」
大きくはないけど、温かみのある声に店に迎え入れてもらった喜びを感じた。
おじいさんの声に反応して、おばあさんが僕の席に水とメニューを運んできてくれた。
ただ、おばあさんは口を堅く結んだまま。勝手に店に入り、席についてしまったことで、おばあさんの気分を害してしまったか気がかりになりながら
僕は、アイスコーヒーとナポリタンを注文した。
おばあさんは僕の席に隣にいただけど、キッチンのおじいさんが反応した。
 
 

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たばこのヤニで黄ばんだ壁と天井。
簡易なテーブルとハリのある革のソファー。
詰めて並べられたカウンター席。カウンターにはサイフォンが並べられていた。
店内には70年代、80年代の洋楽が流れていた。
その空間何もかもが心地よかった。
 
店内を観察していて、メニュー以外の張り紙がいくつかあることに気が付いた。
その張り紙にはどれも同じことが書いてあった。
『27年間、価格変更せずやってきましたが、もう限界 変更しました。
併せて、妻は2014年くも膜下出血を発症。すべてに普通ではありません。ご理解ください。』
 
 
人間には寿命がある。その人間が運営しているお店にも寿命がある。
少子化、過疎化によって跡継ぎ問題などが騒がれるようになってきてはいるけども、
お店や仕事は永遠に続くものであるかの錯覚をさせる。
通常、お店は営業をやめるとその店舗を改装などしてまた新しいお店ができるか、完全に取り壊されて全く別のものができる。
そこに何があったかを語る人がいなくなれば、簡単に記憶から消える。
存在していたはずであるはずなのに、存在していなかったことになってしまう。

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書くことを続けようと思ったのは、アイスコーヒーを飲み終えた時。
そのアイスコーヒーは苦みが強かったからか、お店を出ても僕の口に残り続けた。