君は「Let it be.」と言った

気の向くままに好きなことを紡いでいきます。

プロローグ

なにかを始める時は、軽い気持ちのほうがいいよ。

ぼくの親友のことば。

くよくよ悩まないほうがいい。やってみよう。

思い立ったが吉日と言うくらいだから。

そんなことを言って、親友はプロポーズを成功させて、新しい家族を始めた。

 

僕も親友の軽やかな人生のステップに誘われて、好きな人と出会い、家族になった。
8年間続けた仕事も変えた。

生きることは道を歩くことによく例えられるけれど、生きていると、ここが分岐点かな、と感じることがある。

何の分かれ道なのかはわからないけど、たぶんこの先の未来が変わるんだろうな、というポイントがある。

そんなポイントに出逢うときは、できる限り軽い気持ちで、「なるようになるさ」と思うようにしている。

 

 

頭を使わずに生きるようになっていると感じ始めていたのはいつからだろう。

使わなくなったのか、それとも使えなくなったのか。

それはわからないけれど、毎日を均質にしている正体は、ぼく自身であることは明らかだった。

考えないこと、それが日々を均質にしていた。

同じくらいの時間に起きて、同じくらいの時間の電車に乗って、同じ職場に通う。

少しだけ残業して、心が宿っていないお疲れ様を言って、ため息とともに最寄駅に着く。

行きに自分が作った轍をたどるように帰ってくる。

同じくらい夜更かししたら、明日の仕事のことは考えるけれど、期待をすることなく布団にはいる。

膨大な時間をこうやって過ごしてきた。

なにかを始めないと、気がついたら終わってしまうことはわかっていた。

もうこの世にはいないあの人ならば、「まだ始まってすらいないか。」って言ってくれるかもしれないだろうけど、終わっていったものがたくさんあるのも事実。

たくさんの終わっていったものがあることに目を瞑り、気が付けば34歳になった。

社会に属し、自分の生活費を自分で稼いで、まるで自分の力だけで生きているかのように錯覚して、時に、古い友人と会って話したとき、大人になったな、なんて話をする。

社会人という独特の気持ちよさの衣を羽織って、何者かになれているようにして生きている。

もう振り返ることもできなくなってしまって、前しか見ることができないから、ただひたすらに時間に流されていく。

 

 

そんな生き方をしていた中でも出逢ってくれた人がいた。深く心に響いた作品にもいくつか出逢ってきた。

自分の時間の貴重さから目を背けずに、真摯に生きている人に触発されて、
未来が、可能性が、どんどん消費とされていくことに些細な違和感を源泉として、猛烈な恐怖が沸き上がってきた。

かつての偉人は「簡単すぎる人生に、生きる価値などない」と言ったらしい。

少し強すぎる言葉ではあるし、簡単すぎる人生なんてたぶんなくて、みんな苦悩を抱え、何かを我慢して必死に生きている。

しかし、日々を均質に暮らすことは意外と簡単にできてしまう。

生きる価値などないと言われたくはない。僕の人生はもう僕だけのものではない。

僕の人生には家族がいる。出逢ってくれて、生きててよかったと感じる時間を共に過ごしてきた、大切な人たちがいる。

均質な日々や消えていく可能性を拾うためには、頭を使うことから始めるのがいいだろう。

さび付いた頭の歯車を動かすには文章を書くことを始めるのがいいだろう。

なにか一つでいい。

均質な日々の中から、一つでも気になることを摘みとり、書く。

そう、誰のためでもない、自分のためのブログ。

 

「考えろマグガイバー」

あたまのなかで警笛がなる。

 

 

くよくよ悩まないほうがいい。

やってみよう。

思い立ったが吉日と言うくらいだから。

だから、ぼくは、もう一度、ブログを始めてみようと思う。