「一辺倒に、辛いときこそ笑え、みたいなこと言う人いてるやん。そういう人にだけはなりたくないわ。」
ヒッチハイクで宮城県に向かう無鉄砲な僕を載せてくれた同い年ぐらいの小型トラックの運転手が言った。
「ほんとに辛いときは笑われへんしな。なんで自分だけって、そんな気持ちにもなるし。みんな同じ目に合えばいいのにってさえ思うときもある。そんな状態の人に笑えってのは、突き放してるみたいな感じやん。」
僕はただ聞いていた。関西弁が心地よかった。
「その人なりの頑張り方、踏ん張り方がある。この人も、あの人も頑張って生きてるってことを忘れたらあかんと思うねん。」
同意を求めるように、先を見る目を一瞬僕に寄せた。僕は無言でうなづいた。
「気の利いた事は言えんくても、せめて、相手のことを自分のことのように考えれる人になりたいな。」
岐阜に向かって、トラックはぐんぐん進んだ。
◆
2011/3/11は忘れられない日になった。
僕はその時、大阪の実家にいた。大学生の春休み期間で、帰省中だった。
心地の良い空間そのままにお昼寝中だったが、微細な揺れで目が覚めた。
地震と確信するために、テレビを付けるまでに時間がかからなかった。
飛び込んできたのは、予想していた震度2の数字と共に、想像だにできなかった目を疑うような惨状だった。
叫ぶように避難を勧告するアナウンサー。
車が流され、街が海に飲み込まれていく光景。
ビルの屋上からヘリに吊り上げられる人々。
何人も人がいたはずのビルの屋上が海になってしまう過程。
◆
東京駅に妻とお出かけをした際に、新丸ビルに展示があった。
僕たちはのんきに何の写真だろうねぇなんて話をしていたが、その色合いで気が付いた。
妻も同じタイミングで言葉を飲み込んでいた。
そこからは少しずつ言葉を探して、会話を続けた。話題は東日本大震災。
妻も僕も次から議に話題を変えるタイプだけど、その話題だけは、帰路に就くまで、続いた。
それほど僕たちの心に深く刻まれている。被災していない僕たちにでも、それくらいの衝撃があったのだと改めて知らされた。
話しながら、頭の中にヒッチハイクの時に出逢ったトラック運転手の記憶の匂いがした。
◆
2012年。震災から1年後。
岡山に下宿していたぼくは、せっかくならとヒッチハイクで東北のその地に向かった
2日かけて、中国地方を抜け、近畿から中部へ駆け抜け、関東を北上し東北に到着した。
被災地である石巻、気仙沼に足を運んだ。
海が押し寄せなぎ倒された木々を見た。
海側に積み上げられたままになっている瓦礫の山を見た。
骨組みだけになった防災対策庁舎を見た。
もう動かない時計をつけている太田小学校を見た。
生活や家庭があったなんて想像ができない基礎だけになった家を見た。
暗くどんよりとしたイメージとは裏腹に、町には都会にはない活気があった。
復興という言葉を現実を受け止め生きている人がたくさんいた。
僕の大好きな作家である池澤夏樹さんの『春を恨んだりはしない』にこんな文章がある。
人は行きつ戻りつゆっくりと喪失を受け入れる。
失ったものについて、あれこれとなく考え、嘆き、時に泣き、忘れたと思っては思い出し、本当は辿りたくない道をぐずぐず前に進む。
当時はショックで自分の名前が書けなかった、とはにかんで話してくれたおばさん。
何度も来てくれてありがとうと手を握ってくれたおばあちゃん。
自分たちがいることを忘れないでくれ、と訴えてくれたあの眼光の鋭いおじさん。
自分のできることでこの土地を元気にしたいといっていた青年。
夢は地元で教師になることだと教えてくれた少年。
アートの力で復興を支援したいと考えていると照れて教えてくれた少女。
震災で大切な家財がすべてなくなっても、目の光は失っても、生きるしかないと語ってくれた仮設住宅に住んでいた人々。
みんな、おそるおそる、でも確実に踏み出していた。
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僕たちは、自分以外に起こっていることには無関心だとぼくは思っている。
自分にとって大切なものには関心を保つことができるけれど、自分にとって大切という距離ができればできるほど、関心を持つことができない。他人に関心を持つ場合は、その関心事が自分の大切なものと共鳴しているときだと思う。
それは悪いことではなくて、人間の意識というものはそういう風にできていると考えている。
だからこそ、大切に思える何かに出逢えた際に、心が動くのだと考えている。
2020年、春。新しいウイルスの蔓延によって、世の中に再び暗いニュースがあふれた
ウイルスの蔓延は、自然災害とは違った。
恐怖に対して心構えができたのだ。
自分が被害者にならないように、周りに迷惑をかけないようにできることをみんながした。
ウイルスの蔓延は自然災害と似ている部分があった。
みんな圏外に立つ評論家ではなく、当事者であるという部分だ。
ウイルスはどれだけ避けても、感染するときは感染する。
誰しもが大切な何かを喪失する可能性があったからこそ、何者でもないぼくたちも、自分にしかできないことと信じて、できることをした。
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大きな自然災害を経験し、未知のウイルスを経験したぼくたちは、多くのことを学んだ。
誰かを突き放していいことなんてない。
自分も当事者である、という気持ちを忘れないようにしたい。
辛いときはその辛さに寄り添い、楽しいときには一緒に笑えるように。