君は「Let it be.」と言った

気の向くままに好きなことを紡いでいきます。

ブラフマンの埋葬 ~誰かの領域を侵して生きること~

ブラフマンを想いながら、実験用のマウスのことを思い出していた。
大学院生だったぼくの研究のために、がんに侵され、命の灯を消された小さな動物たちのことを。
 
 
小川洋子さんの小説が好きだ。最初に読んだのは『博士が愛した数式』。その後『猫を抱いて像と泳ぐ』、『ことり』、『海』、『琥珀の瞬き』、『最果てアーケード』、『薬指の標本』と片っ端に手に取り、小川洋子さんの世界に没入した。
小川洋子さんの紡ぐ物語には、儚さと怖さがあると感じている。
誰もが持っている触れてはいけない静かな領域に触れてしまうことで、何かが壊れていってしまう。
その破壊は後に消失につながる。そんな脆さの裏側にある、儚さと怖さ。
小川洋子さんの世界が不思議なのは、それらが同時に優しさや温かさを秘めていることだ。
その様は、冬の晴れの日の明け方の雰囲気に似ていると思う。重い雲はかかっているにも関わらず世界は白んで明るくて、凍てつく寒さにピンと張り詰めている乾燥した空気の中だけど気分は清々しく晴れやかという、あの雰囲気に似ている。
 
小川洋子さんの小説を読むことは、単に文字を読む行為だけでは収まりきらない。
その世界にひとたびでも触れてしまうと、簡単には現実世界に帰ってこれない。
心は物語に吸い込まれ、次第に視界には文字ではなく登場人物のとらえている世界が映る。悲哀と優しさが満ちている世界を。
 
 
『ブラフマンの埋葬』は”僕”がある動物と出逢い、ブラフマンと名付けの共に過ごす物語だ。
物語の中で登場するキャラクターの中で、名前があるのがブラフマンだけ。舞台となる創作者の家に出てくる人たちの名前も分からないし、”僕”が想いを寄せる雑貨屋の娘も、ブラフマンの名付け親で主人公級の働きをする”僕”でさえ名前が明かされることがない。
ブラフマンというのも、サンスクリット語で謎を意味する言葉として作中で紹介されているが、犬や猫やネズミのような言葉として定義された動物としては描かれていない。小型の生き物であることしかわからない。
しかし、ブラフマンのしぐさや挙動については細やかなため、ブラフマンは生き生きと躍動し、”僕”の生活に彩りを与える。
ブラフマンは確かに存在していて、ブラフマンを中心に謎に満ちた世界の生活がぼんやりとだけど見えてくる。そうして、物語の世界に落ちていく。沼地に石を投げ入れたときのように、ゆっくりと音を立てずに穏やかに。
 
 
ぼくは犬や猫、ハムスターなどのペットを飼った経験がない。
小さなころから犬と一緒に暮らしてみたかったけれど、マンションに住んでいたため、飼うことが許されなかった。
そんなぼくは大学生となって、薬学部に入学した。研究室に配属され実験をするようになって、実験用のマウスと出会った。
彼らは短い白い体毛に覆われていて、毛並みはふわふわだった。
目が赤くて、餌をあげたら必死でその餌をかじり、ゲージにはいつもフンが点在していた。自分の実験で使うマウスの世話は、自分でするのが決まりだったから、ぼくは何十匹というマウスを一度に世話をしていた。
ゲージの掃除をするにあたって、マウスをゲージから移動させようとすると、彼らは小さな薄ピンク色の手と足で、ぼくの手を必死に掴もうと暴れた。その四肢は小さく脆さを孕んでおり、より一層生命を感じさせた。
彼らは、ペットショップで見たことがあるハムスターに負けず劣らず可愛かった。
 
ぼくは、そんな彼らの命を論文のための実験という名目で奪った。
彼らは名前など与えられず、実験データを取るための道具として使われた。
データの正当性のために、病を植え付けられ、論理に基づいて創られた薬を打たれた。病に侵されなくなった個体もあれば、副作用で亡くなった個体もいた。無事に快復する個体もあったが、快復しても、実験に必要なデータが集まれば、彼らにもうすでに用済みとなっていた。それらはマニュアルに沿って、できるだけ負荷の少ない方法でその灯を消された。
 
何十匹ものマウスが目の前で死んだ。何十匹も自分の手で殺めた。
彼らの小さな身体を触ると感じられた鼓動が止まり、体温がなくなり、目から光が消える瞬間を何度も経験した。
実験動物の扱いの是非の話をしたいわけではない。
これは、マウスの命という領域に僕が踏み込んだ記憶。
ぼくはマウスたちの奥底にある静かで簡単には踏み込めない領域に、自身の都合で踏み込んだのだ。
 
 
『ブラフマンの埋葬』を読んだ直後、なんと美しく、暖かくて残酷で悲哀の物語かと感じた。
何も明かされないからこそ、感じ取ることが多く、余韻で読了直後は動けなくなるほど。
そんな余韻の中で、ブラフマンを想いながら、大学院の時の実験用マウスたちのことを思い出した。
 
野生で生きていたブラフマンを見つけた、”僕”は、”僕”の生活の中にブラフマンを招き入れる。名前を付け、一緒に生活をする。それは、ブラフマンの中の領域の侵食ともいえる。
ぼくも同じだ。マウスたちの領域を自分のために侵した。
 
誰かの世界を侵すことは、何か大切なものを失うことにつながる怖さがある。
しかし、人間はエゴの生き物と言われているから、他の世界を侵さずには生きていけない。
誰かの領域を侵すことは必然だ。
では、あとできることは何だろう。その行為がもたらす未来が少しでも相手のためになっているかを考え、想像することではないかと思う。
恐れや怖さを感じて逃げ出したくなっても、踏み込んだ領域を見定め、責任を持つことではないだろうか。
 
ブラフマンは幸せだっただろうか。
せめて、幸せだったらいいなと強く感じ願った。