君は「Let it be.」と言った

気の向くままに好きなことを紡いでいきます。

神保町一丁目一番地と共に僕もしおりを外そうと思う。

ぼくは、社会人になってから東京に上京した。
都市ではない場所で生活していると、都市に対して憧れに似た幻想を抱く人が多いのではないか、と思う。
岡山で大学生をしていたぼくにとっても、やはり東京は特別で、社会人になったら東京か大阪で生活をするのだと当然のことのように想っていた。そこにあるはずの何かにワクワクと胸を弾ませていた。
煌めく街の光は何かに出逢えるタイミングが漏れ出ているようで、そこで何かを見出し、何者でもないものが、何者かになれる場所のように感じていた。
 
しかし、幻想は幻想でしかない。
東京に来ても、住む場所が変わっただけで、ぼく自身は何も変わらないから当然だ。
何者でもないぼくは、そのなにかを追い求めて、東京の街を歩き回った。東京、銀座、渋谷、新宿、池袋、品川、上野など、田舎に住んでいても聞いたことのある場所に足を運んだ。
 
そんなときに神保町という街を知った。
神保町は、本とアウトドア用品とカレーと喫茶店があふれた街。ぼくの好きなものを寄せ集めた街だった。
神保町を知った2、3年目の社会人駆け出しのころ、ぼくは神保町という街の虜になったように何度も足を運んだ。土曜日と日曜日の両日とも神保町にいたこともある。
裏道を見つけては足を向け、見つけた本屋さんに入って、本棚に向かう。手にとっては書面に目を走らせ、棚に戻し、少しでも気になった本は購入。そして、気になった喫茶店に入ってその本を読んだ。
本の触感。喫茶店でマスターがハンドドリップで丁寧に淹れてくれた珈琲の香り。かすかに聞こえるクラシック音楽。時代を超えて保存された店内。
過去と現在が交錯しているその場で、何度もまだ見ぬ未来を思い描いた。
東京に来てから、何者かにならないといけない、何かを見つけないといけないという強迫観念に似たものを抱いていたぼくだけど、そうしている時間だけは、可能性を手繰り寄せているようで不思議と安心していられた。
 
 
本を手に取る行為は、祈りに似ているのではないかと考えている。
助けが欲しいとき、何かを知りたいとき、未来への希望に想いを馳せるときなど、今の自分ではどうすることもできないときに人は神に祈る。
本を手に取ることは、そんな祈りという行為に近いのではないかと思う。
過去の叡智に触れたい、知っている人の知見を知りたい、自分の知らない世界に触れたい、感情を動かされたい、現状から逃げたい。本を取るには様々な理由があるけれど、どれも状況は、祈りに近いのではないかと考えている。
そして、本を手に取るのが祈りだとすると、本は祈られる対象、つまり神様となる。
 
神保町は本の街と言われているから、救いを求める人とそれを受け止める神様がたくさんいる街ということになる。
そんな神保町の一丁目一番地は三省堂書店 神保町本店だった。
多くの人の受け止めてきたその書店は、建物の老朽化のために、2022年に一度「しおりを挟みます」という言葉とともに閉店した。
2026年3月19日。三省堂書店 神保町本店が再オープンした。
 
 
売り場面積が縮小された、本の数が少なくなった、専門書の取扱いが減った、本屋だけではなく不動産もしていて、本を置いていないフロアはオフィスとして貸し出すらしい。
そんな前評判を聞いていた。
今日は店内で、どこにどの本が置いてあるかわかりづらいね、という声を複数耳にした。
確かに、過去の三省堂書店神保町本店を知っている人からすると、その通りだった。本を置いているフロア数も減っているし、小説の取扱いも少なくなっているし、専門書はもっと減っていた。
まだ慣れていないからかもしれないが、どこに何の本が置いてあるかわかりづらく、何度もフロアを行ったり来たりした。
 
しかし、そんなネガティブ要素をはじき飛ばすほど、胸は高鳴っていた。
ほかの書店で見たことがない本棚の配置に、専門書や一般書が入り乱れた陳列。そしてなにより、どのフロアでも表紙が非常によく目についたのだ。
ふつうの本棚では本は背表紙が見えるように陳列されており、手に取った時でないと、本の装丁を知ることができない。しかし、三省堂書店 神保町本店では、本の表紙の美しい装丁や気になるタイトルが手に取ることなく、多数目に入ってきた。
 
 
インターネットが普及して、新たな社会インフラとなった現代では、買い物もインターネット上で行うことが主流になっている。
都会にわざわざ出向かなくても、インターネットに接続できる環境であれば、どこからでもどんなものでも購入することができる。
本も例外ではない。絶版になった本ですらインターネットでは購入することができる。
 
本を読んでいると、好きな作家さんが決まってくる。
その作家の名前で検索をすれば、すぐに気になる本に出逢うことができるし、検索エンジンの進化や人工知能の力によって、自分のこれまでの読書履歴から、自分にあった本を提案してくれることで、新たな本に出逢うこともできる。
インターネットが普及しが現代では、本屋に行く必要性はあまり感じられず、書店の肩身はますます狭くなっている。
 
そんな中での三省堂書店 神保町本店の再オープン。
おそらく三省堂書店側は、前評判や店内で聞いた声はすでに予見していたのではないだろうか。むしろ、もしかしたらニヤリとしているかもしれない。
 
まるで迷路のような店内には、所狭しと本が並んでいて、その本の顔がぼくたちのほうを見ている。歩き回って、たくさんの本と対面して、出逢う。その出逢いは、ネットで人工知能が予想した可能性をはるかに超える予測不可能な可能性を秘めている。
それは、確実性と効率性により予測できた未来のレールを進む社会に対する反抗のようにも受け取れる。
不便さや無駄が生む不確実な衝突の中にこそ、キラリと光る未来が潜んでいることを考えさせられる。
人生を変える可能性がある出逢いが星のように点在している宇宙のように感じた。
 
 
再オープンに伴ってもらったしおりには、
そろそろ、しおりを外します。という言葉とともに、こんな言葉が綴られていた。
未来に書店を残すため、
現状維持より挑戦を選んだ一時閉店。
 中略
新しい世界と出会ったり、
本に囲まれるだけでホッとしたり、
書店という場所で生まれる、
それぞれの心地よさ。
本を取り巻く時代や環境が変わっても、
街に書店があることの意味は、
きっとこれからも変わらないから。
神保町一丁目一番地の覚悟を目の当たりにした。
三省堂書店 神保町本店がしおりを外したように、僕もまた、何者かになろうともがいていた過去のしおりを外そうと思う。
新しいページに自分の考えと言葉をつづるために。