きみは「Let it be」と言った

ありのままに自分の好きなことを思いつくまま

人間失格 ~ここにいる 救われる~

むさぼるように読む本がある。
時間を忘れて、ページをめくる手を止めることなく小説の世界に浸っていたい、と思う本がいくつかある。
その逆に、読まされる本がある。
ページから手が離れず、震えながらも、次に見える景色を恐れながらも、進めてしまう。
自分の中で考えをまとめたいのに、絡まりながらどんどん進めてしまう。
それは、お酒に呑まれる感じに近いものがあるかもしれない。
自制心が聞かず、次々にページをめくる。
読ませる。そんな力のある本がある。

f:id:xxmaplexx:20200506203712j:plain

太宰治の『人間失格』を読んだ。
初めてこれを読んだのは、バックパッカーでインドにいた時。
人との付き合い方とか、そもそも人間とは、ということについて考えていた時期、
日本から何冊か持って行った小説の中の一冊だった。
何度目かになる再読。
まさに読まされたように読んだ。ページをつまむ手が本から離れないまま、時間とページが進んだ。
 
僕はまだこの小説について、太宰治がこの小説を通して残したものについて、理解ができていない。
いつになれば理解できる、という確証はない。
人生を通して何度も読み向き合っていかなければならないだろう。
 
核となる物語は、男(葉蔵)の手記である。
人を恐れ、信じることができず、道化を演じ、欺くことを繰り返す。
親しいと胸を張っていえる人に出会うこともできず、寂しさをまとい、女と酒と最後は薬に侘しさを紛らわす男の手記。
その手記を手に取った”私”と共にその手記を読むような構成になっている。
 
読んでいて、手記に登場する葉蔵はまぎれもなく、人間であると思った。
生々しい人間であると。
 
自分以外のほかの人が何を考えているのかを考え、わからなくなり、怖くなる。
綺麗な言葉を発しているけれど、心の中には、汚い赤黒いものがぐるぐると渦めいている。
話し相手に、自分の皮膚で覆われている内側を見られやしないかとひどく恐れている。
社会で起こる殺人のニュースや異常な精神が引き起こした事件よりも、
友達がさっきまで仲良くしていた別の友達の悪口を言っていることを聞いて怖くなることがある。
その悪口に加担し、自分の身を守っている自分がひどくみすぼらしくなる。
自分なんて、と軽蔑するに値する存在であることを知って、背筋に冷たいものを感じることがある。
正しさを装って言葉を発して、相手の求める正しさじゃなければどうしようと頭を悩ませる。
相手が健常者なのか、異常者なのか、わからなくなる。
自分が異常者なのか、健常者なのか、わからなくなる。
どうして人間として生きているのか、と考える夜もいくつもある。
そんな自分を誰かに理解してもらいたいと、切望する。
真っ暗なトンネルの先に見える光が蜃気楼だとしても、実体であると信じて、進むしかないんだとおずおず動き出す。
ある晩、その光はやっぱり蜃気楼なのだと気が付いて、絶望する。
 
たいていは、みんなそんな人間なのだ。
みんな、考えていても口にしないこと、他人には見せたくない、自分の奥底の部分に
その一隅に葉蔵がいる。
 
でも、だからこそ、希望があるとも思いたい。
 
人間失格は名著として時代を超えて読まれている。
つまり、数えきれないたくさんの人がこの作品を読んでいる。
その中には、この作品に登場する葉蔵を、これは自分だと思う人がいるだろう。
そして気が付くだろう、これだけの人に読まれている本だから、自分以外にも同じ人がいるということを。
それは何よりもの救いになる。
「自分一人だけ」という特異性が持つ孤独は想像を計り知れないけれど、
世界に自分のほかに一人でも、そういう人がいるのだ、ということを実感できることはまさに実体の光である。
 
人間失格は、誰からも理解がされず、現代に心をすり減らし生きる人たちのための救いである、と思う。


キリンジ - Drifter

 

人間失格

人間失格

 

ライオンのおやつ ~向き合い受け入れる強さ~

今もこすりすぎて目の周辺の皮膚は赤くなり、頬は涙が渇いてかぴかぴになっているけど、読み終えたままの気持ちをどうしても記しておきたいと思った。
 
小川糸さんの『ライオンのおやつ』を読んだ。

f:id:xxmaplexx:20200501205612j:plain

本屋賞大賞などから話題の本であったけど、この本を知った時、ぼくは手に取ることをためらった。
コロナウイルスのおかげで時間ができて、もともと持っていた本の再読だけでなく、新しい物語も読んでみたいと思った。
そこで、思い出したのがこの本だった。
 
素晴らしかった。
物語だから、綺麗な流れて話は進んでいく。
ページをめくるたびに、寂しくて悲しいのに、温かくてやさしいそよ風が吹くようだった。
涙が流れた。
ライオンの家の人たちの想いに涙がこぼれた
弱っていく主人公の雫さんの想いに涙がこみ上げては止まらなかった。
ページがふやけるほどに、素直に涙を流して泣いた。
今日は青空だったのに、気が付けば日が暮れていて、
僕は最後のページを読み終えて放心状態になっていた。
 
 
本を読みながら、どうして自分は最初、この本を手に取ることをためらったのかを考えていた。
正確に言うと、末期がん患者が最後を迎える物語である、この本を遠ざけていたのかを考えた。
 
それは、恐れがあったからだった。
ぼくが臆病な小心者だったからだった。
 
ぼくの家系は、がんになりやすい家系だ。
がんは遺伝病と呼ばれており、がんになりやすい遺伝子が存在することは科学的に証明されている。
近しい親族の中にがんで亡くなった方がいる場合、がんになりやすいと考えたほうが早いかもしれない。
ぼくの親族はがんで亡くなる人が多い。
 
だからこれまで、末期がん患者が登場するの話は、映画も小説も、物語としてだけで完結させることができなかった。
物語にもめり込むだけでなく、別の思考を走られてしまう。それは妄想に近い。
ぼくの両親や弟、親族ががんになったら……
その時、自分は何がしてあげることができるか。
恐怖心に背中を押されぐんぐん思考する。
何かしてあげることの”何か”はなんだろうか。
その思考の道筋の中で、自分の無力さに何度も遭遇する。
無力さに出逢いそうになったら、何度も道筋を変えるんだけど、やっぱり最後には無力であることにつかまり、囲まれる。
悲しくなり、自分を悲観する。
 
負の感情は、時にばねとして、身体を突き動かす大きな原動力になる。
 
これからのために何ができるだろうか。
高い確率で来るであろうその日のために何ができるだろうか。
何かできるようにならないと……。
僕の中にたぎる生命エネルギーがどくとくと身体を駆け巡る。
末期がん患者が登場する物語はぼくにとって負の感情を沸かせてくれるもの、だった。
 
高校生の時はリリーフランキーさんの『東京タワー』を読んだ。
そのパワーのまま大学受験で薬学部に入学した。
大学に入ってからは、重松清さんの『その日の前に』や眉村卓さんの『妻にささげた1778話』を読んだ。
そのパワーでがんの研究を頑張った。
 
とてつもないパワーが発揮されるから、とてもいいことのように思えるけども、
ぼくは、ただおびえた。
ぼくの妄想が実現してしまう未来にも、変わってしまうかもしれない自分自身にも。
 
ぼくの両親や弟、親族ががんになったらどうしよう。
末期がん患者が登場する物語を何事もなく読み終えてしまったらどうしよう。
何も想いが沸き上がらなかったらどうしよう。
生命エネルギーが身体を駆け巡らず、最後のページをめくってしまったらどうしよう……。
 
末期がん患者が登場する物語のページをめくると止められなくなる。
自分との対話が止まらなくなる。
だったら、末期がん患者が登場する物語に触れないようにすればいい。
そう明確に思ったわけではないけれど、ぼくは末期がん患者が登場物語を自分の人生から遠ざけていた。
おびえを感じず、日々楽しく、できるだけ面倒くさいことは考えずに生きていきたい。
仕事でめんどくさいことをしているのだから、それ以外の部分は楽しく生きたい。
心のどこかでそう思っていた自分がいた。
 
危機回避能力、という便利な言葉を使ってしまうと、きれいなところに収まってしまいそうだけど
そうやって見逃していいわけでもない。
これがぼくの弱さだった。
小心者で臆病。自分で自分を否定してしまうことを恐れ
素直なままの自分の感情に逆らってしまう自分を恐れていた。
 
主人公の雫さんが自分と、どうすることもできない病気と対峙する様に感情移入しながら
ぼくは僕の中のどうしようもないものを見つけた。
 
結果的に、ぼくは変わっていなかった。
読み終わった今は生命エネルギーがどくとくと身体を駆け巡っている。
それはとても良かったことだけど、この本にはもっと大切なことを教えてもらえた気がする。
自分と向き合うことの大切さ。
苦しみの中で自分を認めてあげる大切さ。
文字にしてしまうと陳腐になってしまうけども、とても大事なことだと思う。
 
正直、物語にある生きることと死を受け入れることの意味は
まだぼくには理解できない部分がある。
悟り、受け入れ、感謝する雫さんのようにはなれない。
死に寄り添い、すべてをやさしく包み込み、そっと支えるマドンナのようにもなれそうにない。
それは、本当の意味で自分が死ぬことを理解できていないから。考えることができていないから。
でも今はそれでいい。とも思う。
だって生きているんだから。
生きているうちは精一杯生きる。なるようにしかならないんだったら、なるように生きる。
それもこの物語が教えてくれていることだとおもうから。
 
実際に自分はどうするだろう。
大切な人が雫のようになったら、ぼくは何をしてあげれるんだろうか。
涙を拭いて、ぐるぐる考えている。
弱い自分と向き合うところから始めよう。
まずは、自分を認めないと、ほかの人には何もしてあげれることなんてないのだから。
 
ぼくは変わっていなかったけれど、もっと変われるかもしれない。
そもそも変化することを恐れていては、せっかく生きているのにもったいないぞ!
と雫さんに言われている気がした。
 
レモンの香りのするフレグランスを買った。
ふわっと香るたびに、東京の風の中に瀬戸内の雫さんの見ていた風景、想いを思い出せるように。
賢くならなくていい。かっこよくなくていい。誠実に生きよう。
 
「思いっきり不幸を吸い込んで、吐く息を感謝に変えれば、あなたの人生はやがて光り輝くことでしょう」
物語の中に出てくる、このセリフを理解できるようになりたい。


青葉市子 - サーカスナイト

 

ライオンのおやつ

ライオンのおやつ

  • 作者:糸, 小川
  • 発売日: 2019/10/08
  • メディア: 単行本